MENU

【1】妻とは5年触れていない。47歳の僕が既婚者アプリを開いた夜

第1話 妻とは5年触れていない。47歳の僕が既婚者アプリを開いた夜

妻との仲が、特別悪いわけではない。

朝になれば「おはよう」と言うし、夕食を作ってもらえば「ありがとう」と伝える。

休日には一緒にスーパーへ行くこともある。子どもの進路について話し合い、住宅ローンや保険の話もする。

家族としては、たぶんうまくやっている。

ただ、妻に触れなくなって、もう5年が過ぎていた。

きっかけがあったわけではない。

大きな喧嘩をしたわけでも、どちらかが明確に拒んだわけでもなかった。

子どもが大きくなり、寝室が別になり、仕事が忙しくなった。

そうしているうちに、夫婦の間から男女の空気だけが静かに消えていった。

以前は、妻が風呂上がりに髪を乾かしている姿を見ただけで、少し落ち着かない気持ちになった。

今では、妻が目の前で着替えていても、何も感じない。

いや、正確に言えば、感じないようにしているのかもしれない。

触れようとして避けられたら傷つく。

拒まれなくても、面倒そうな顔をされたら立ち直れない。

だったら最初から、何も求めないほうが楽だった。

「もう俺たち、夫婦っていうより家族だよな」

一度だけ冗談めかして言ったことがある。

妻はテレビを見たまま、「どこの家もそんなもんじゃない?」と笑った。

その言葉に悪意はなかった。

けれど、その夜、なぜか眠れなかった。

夫として、父親として、家族のために働く人間として。

自分にはまだ役割がある。

しかし、男としての自分は、もう誰からも必要とされていない気がした。

ある夜、ベッドに入ってからスマートフォンを見ていると、「セカンドパートナー」という言葉が目に入った。

妻や夫以外に、心を通わせる相手。

家庭を壊すことを目的とせず、日常では満たされない感情を共有する関係。

ずいぶん都合のいい言葉だと思った。

不倫をきれいに言い換えているだけではないのか。

そう思いながらも、僕は画面を閉じなかった。

関連する記事を読み、体験談を読み、気がつけば既婚者向けのマッチングサービスまで見ていた。

登録している女性の写真には、顔全体が写っていないものも多かった。

横顔だけの女性。

後ろ姿の女性。

グラスを持つ指先だけが写った写真。

その曖昧さが、かえって想像を刺激した。

この人にも夫がいるのだろうか。

普段は子どもの弁当を作り、家族の洗濯物を畳み、何食わぬ顔で生活しているのだろうか。

それでも、誰かに女性として見られたいと思っているのだろうか。

プロフィールを見ているうちに、42歳の女性が目に留まった。

名前は「美沙」。

もちろん本名ではないだろう。

顔は口元までしか写っていなかった。

白いシャツに細いネックレス。肩まで伸びた髪。

プロフィールには、こう書かれていた。

「家庭を壊すつもりはありません。ただ、ときどき妻でも母でもない自分に戻りたいです」

僕はその文章を何度も読み返した。

妻でも母でもない自分。

僕が求めているのも、夫でも父親でもない自分に戻れる場所なのかもしれない。

登録だけして、その日は何もしないつもりだった。

ところが、数分後。

美沙から「いいね」が届いた。

心臓が、思っていた以上に強く跳ねた。

ただの機能だ。

深い意味などない。

何人もの男性に送っているのかもしれない。

それでも僕は、誰かに選ばれたような気がした。

隣の部屋では、妻が寝る前のドラマを見ていた。

笑い声が壁越しに聞こえる。

僕は何度も文章を書いては消した。

結局、送ったのは当たり障りのない言葉だった。

「はじめまして。プロフィールを読んで、少しお話ししてみたいと思いました」

送信ボタンを押すまで、十分近くかかった。

画面に「送信しました」と表示された瞬間、指先がかすかに震えた。

まだ、何もしていない。

知らない女性に挨拶を送っただけだ。

それなのに僕は、もう一線を越えてしまったような感覚を覚えていた。

2話へ続く>>

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次